脇役とメガネ

東京で溺れています

何者でもない感覚


自分が何者でもないと感じると劣等感や嫉妬やそんな類の感覚が生まれる。

生まれたからには有名になりたいとか一芸に秀でたいとか日本一になりたいとか、人とは違うものが欲しい。才能と呼ぶものが。

それを持っている人間は名前のある何者かになれる気がした。

 

 

 

 


昔、仕事を辞めて感じたことは

組織の一員で無くなる疎外感でも無く、社会から拒絶される恐怖感でも無く、社会人としてのレールから外れる羞恥心でもなかった。

 


ずっとワクワクしていた。

 


会社員のときはずっとこのままなのかという絶望感と自分の思うことが何一つできないこと。それが辛かった。

 


上司のファッションもダサくて泣けたのはここだけの話。

 


これから会社員では無くなる高揚感。

 


これから何でもできるという期待。

 


自分の意志と責任で動ける喜び。

 

 

 

所属も看板もないのに何かできる気がした。

何もないからこそどこへでもいける気がした。

 


フリーランス時代は自分の好きなことができた気はする。

自分の裁量でできた。

 


誇れる経歴も受賞歴も学歴も持ち合わせてはいなかったが、それでも何者でもない自分でいられることは楽しかった。

自分の存在だけで生きていくことが楽しかった。

 


それを経験してから何者にならないといけないと思っていた自分は少しだけ何者でなくても大丈夫な気もしていた。

 

 

 

それはいつか何者かになれる期待を持てたから。

 

 

 

歩んでいくとやはり何者にもなれない気はした。

このまま進んでも何もない。そんな絶望感。

 


だから、フリーランスや会社員に拘らなくなった。

 


フリーランスの責任感や決定権のあるあの環境はいまでも好きだ。新しいこと、面白いことを取り入れられるからワクワクする。

 


でも今の僕は実力も知名度も何もかも並だ。

悲しいがこのままでは僕は何者でもないまま終わりそうだった。

 

 

 

今は会社員として、

会社の看板や事業やモノがある。

 


それを使わせてもらって自分はここにいると言える。

 


◯◯と言えば自分となるまで頑張ろう。

何者でもない自分が何かに特化できるチャンスでもある。

強みという言葉が正しいのか、差別化を狙えると言った方がいいのかわからない。

 


でもそこまでくれば何者かになれるかもしれない。

 


でも自分はいつまで経っても自分だということは忘れないようにしよう。