服へのこだわりが無くなった瞬間
僕は大学生の時隠れおしゃれ番長を自称で名乗っていた。
隠れと言ってもそれを着て人前に出ることがなかったから...。笑
僕は大学時代そこそこ稼いでいたと思う。
月に20万以上稼ぐこともあった。
東京へは趣味の活動で毎週のように通っていた。
下北沢などおしゃれな街に出向き古着を漁り、有名ブランドの服も安く手に入れていた。
服を買いに行くためだけに東京に行ったこともある。
何なら、東京に服のための部屋を借りていた。
今考えれば相当バカだなと思う。
でも名古屋でそんな服を着れば浮くから嫌だった。
東京で着れば浮かない。普通だと思っていたから名古屋で着れない服は東京で保管していた。
名古屋ではある程度の服を着た。
むしろダサい感じや色の主張強めのも着ていたと思う。
しゃれおつ雑誌に載っているような服ばかり買う。
それが正義であり、それが最高だと思っていた。
ユ○クロやし○むらや無○は最悪、ダサいと。
普通の男子と比べて服の量は5~10倍はあったと思う。
そんな僕がなぜこだわりが無くなったか。
それは
「着たい服を着ても似合わなければダサい。似合う服を着こなしたほうがかっこいい」
と言われたからである。
僕は細見だ。
172cmのガリだ。
そしてメガネで真面目そうな顔面。
ただ髪の毛の色は...。笑
着たい服や雑誌に載ってる服、古着屋にある服を着て似合っていると言われたことはない。
多分にあってなかったのだろう。
自分の雰囲気や体型にあっていなかったから。
それから僕は東京の服を全部捨てた。
部屋も借りるのを辞めた。
名古屋にある服も社会人になってから捨て続けた。
ほとんど服が無くなった僕が買いに行った場所は「ユ○クロ」だ。
シンプルかつ合理性の高いあのユニ○ロだ。
自分がダサいと思っていた○ニクロだ。
そこから僕の家にある服はほぼ9割がユ○クロになった。
僕に一番似合うファッションは全部ユ○クロにあった。
他者が評価したらユ○クロのファッションの方が似合っている、高評価をいただく。
僕が服を買うときは欲しい服を買うのもそうだが、それ以上に似合うかどうかを気にするようにしている。
自分に似合う服やファッションを見極めるのもすごく大事。
それで印象は変わるから。
僕は変わりました。