脇役とメガネ

東京で溺れています

憧れるような人間にはなれないけど

後輩からよく「すごい」と言われる。


自己肯定力は低くないが


「え?何がすごいの?俺よりできる人はいっぱいおるよ。」


と思ってしまう。




うちの母親の口癖が


「自分は自分。他人は他人。」


「あなたがテストで0点取ろうが、100点取ろうが私には関係ない。0点取って後で困るのはあなただから」


「母親の私が、決めてやらせて文句言われたくないもん。自分で選びなさい。」


「上には上がいる。」




この4つが意味するのは、

「比較しない、自己責任、決断力、謙虚」

だと思っている。

※母親がここまで計算して言っているかは不明



小さいころからビジネス書に載っていそうな格言を浴びて育った僕だから自己肯定力は低くない。



でも、いつも自信はなかった。




その自信をくれたのは、僕の周りにいた友人たちだ。


だから今はある程度自分に対して自信はある。





でも謙虚に育てと言われて育った僕は自分を「すごい」と一回も思ったことはない。







なぜか。






僕の周りにはいつも、



自分より優秀な人、自分にはできないことができる人、天才、怪物...。




そんな人ばかりがいると思い込んでいた。




そう。思い込みです。





いや、もっとちゃんと言えば、




「自分と"違う”というものを排除せず受け入れる才能」



これが僕にはあるんだと思います。





だって、うらやましいですもん。




自分にできないことができる。

天才。


それを嫉妬しすぎて、潰すの勿体ないですし。





生まれつき「イケメン」もその点はいいですね。



普通にイケメンにまみれたいですもん。笑






話が逸れました。





僕は人のすごいところを見つけるのが得意だが、


自分のすごいところは評価しない。
肯定はするが高評価しない。

食べログなら2.8ぐらいだ。



だからいくら「すごい」と言われてもピンとこない。






所詮は僕にとっては「当たり前」だから。





僕はヒーローにもなれないし、人気者にもなれないし、天才的な才能もないくせに、




普通の道路よりも誰も歩いていない道を歩きたい。





周りにいるすごい人間みたくすごくなろうと思ってなれなかった僕は



結局、すごい人がやっていることを真似してパクるだけ。徹底的に。



いきなり頂上にいける山がないのと一緒で、




一歩ずつ進むしかない。



何なら僕は多分「普通」の最短ルートを歩いていない。



遠回りしている。


高速道路に乗ればいいのに、下道で制限速度でバイクで走っている。



たまにヒッチハイクしてる人を乗せたりする。


何なら道の駅で足湯に入ってる。







でも覚悟を決めてフルスロットルアクセル全開で行くこともある。
暴走もする。




そんな人生を歩もうと思ってしまったから多分今ここに自分がいる。


そんな人生を歩むための友もできたし、今後もできる。



そんな人生を歩むためのガイドは人生の先輩たちだ。




自分のちょうどいいタイミングでいい人に巡り合っている。




すごい人になるためよりも「自分が満足できる」人間になりたいのかもしれない。




だから「すごい」という言葉を自分に使うことを避けているのかもしれない。






死んだあとに「すごい」人になったらいいや。笑