脇役とメガネ

東京で溺れています

読書日記

読んだ本の中から抜粋。


現状を変えるいちばん確実な方法は現状を受け入れることだ

行き詰まったときにはそれを事実として認めるのがいいということ

行き詰った→受け入れる→変わった方がまし

自分がこうあるべきだと考えていることではなく
実際に目の前にあることを受け入れること
自分が学び、成長するチャンスがそこにある
そのチャンスに心を開こう

行き詰まりは縮小ではなく拡大のきっかけになる
行き詰まりは新しい可能性を探るためのきっかけを与えてくれる

現在こそ、わたしたちが生きている唯一の場であり
夢を実現するために創造力を発揮できる唯一の場

意欲的に取り組むときは自分が今していることに意識を向けている。
→未来の種をまくことに集中している

現在には必ず過去よりも大きな可能性がある

偶然は準備のできている人を好む

何かをしようとする緊張が消えたときにはじめて、
ほんとうに必要なことができるようになる

何もしないことに耐えられるようになるまでは
ほんとうに必要なことは何もできない

何もしないことに耐えられないうちは
何もしないことを避けるために
行動を起こそうとするから
あえて行動しないことで正しい行動が生まれる

世界のエグゼティブに学ぶストレスフリーな働き方
著:ソレン・ゴードハマー
訳:黒輪篤嗣
監修:佐々木俊尚

人生でやりたい100のリストを作ってみた件

1 世界一周する
2 日本一周する
3 沖縄に住む
4 東京に住む
5 海外に住む
6 アメリカで勉強する
7 ヨーロッパで勉強する
8 高級ホテルに宿泊する
9 世界各地のおいしいものを食べる
10 日本各地のおいしいものを食べる
11 世界の絶景をみる
12 父親にバイクをプレゼントする
13 親に旅行をプレゼントする
14 年収1000万稼ぐ
15 年収1億稼ぐ
16 楽器を買う
17 飛行機のファーストクラスに乗る
18 新幹線のグリーン車に乗る
19 スキーする
20 スノボする
21 親孝行
22 ナショナルトレーニングセンターのような施設を愛知に作る
23 30歳までに店舗を作る
24 別荘を買う
25 猫を飼う
26 犬を飼う
27 彼女とディズニーに行く
28 結婚する
29 幸せな家庭を築く
30 息子と娘を育てる
31 スカイダイビングをする
32 バンジージャンプをする
33 大学に寄付する
34 最高の仲間と働く
35 ポジティブな影響を与える
36 松浦弥太郎さんに会う
37 水野敬也さんに会う
38 田島麻衣子さんに会う
39 植松努さんに会う
40 男女ともにモテたい
41 NSCA海外研修に参加
42 新しいPCを買う
43 ipad買う
44 楽しく仕事したい
45 SNSで有名になる
46 学校を作る
47 中京大学の後輩トレーナーの雇用に一役買う
48 ライター業をする
49 クリエイティブディレクターをする
50 インテリアを充実させたい
51 料理のスキルをもっと上げたい
52 書籍出版
53 TEDに登壇する
54 地元に貢献したい
55 バイク買う
56 バイクの免許取得
57 人にやさしくする
58 勇気づけられる人になる
59 良いときも悪いときも笑顔
60 キャンプ
61 自然の中で生活する
62 資産運用する
63 投資する
64 全裸で外を走る
65 ベンチプレス100kg以上
66 スクワット200kg以上
67 クリーン100kg以上
68 50m走 5秒台
69 100m走 11秒00
70 孫と遊ぶ
71 地域で運動会みたいなイベントをする
72 自分の気持ちに素直でいる
73 自分=職業
74 好きな人に好きと感謝を伝える
75 遊びと仕事の境界線をなくす
76 イケメンの友達を増やす
77 信用を高める
78 飲み屋を経営する
79 愛知一のトレーナーになる
80 師匠にプレゼントと恩返しをする
81 人との出会いを大切にする
82 自分好きになる
83 コミュニティを作る
84 プレゼン力を養う
85 ファッションに気兼ねなくお金を使う
86 GReeeeNのライブに行き続ける
87 GReeeeNに生で会う
88 出身校でスピーチする
89 ハンバーグめぐり
90 ハンバーガーめぐり
91 自分のできることで人に感謝される
92 ありがとうを言葉にする
93 30歳で月収手取り40万円
94 車の免許を取得
95 レクサス車購入
96 一生親友たちと遊ぶ
97 体操競技に関わる
98 教養を身に着ける
99 メガネをたくさん買う
100 着物を普段着として着る
101 オーダーメイドでスーツを仕立てる
102 無人島で生活
103 回らない寿司を食べる
104 スポーツ観戦を趣味にする
105 かっこいい大人になる
106 生きていて良かったと思える人生を歩む
107 言葉を大切にする
108 自分だけの道を自分のペースで歩く
109 目の前のことにしっかり向き合う
110 ボランティアする
111 日本代表のトレーナー
112 愛知県代表のトレーナー
113 プロ選手と契約する
114 仕事で笑ったり泣いたりしたい
115 HALEOと契約する
116 ザムストと契約する
117 ユニクロと契約する
118 大学院に通う
119 JISSで働く
120 オーダーメイドでまくらを作る
121 何歳になっても髪を染める
122 レーシック手術をする
123 世界一の人と仕事する
124 ボディペイントする
125 農業する
126 誰かの誕生日を盛大に祝う
127 広島東洋カープに関わる
128 障害を持つ人の役に立つ
129 病気怪我なく健康でいる


パッと思いついたのがこれだけですね。

まだ増えそう。笑


やりたいこといっぱいです。

好奇心は止まない。

一般の方が「トレーナー」を見分ける問題

headlines.yahoo.co.jp




たまたまフォロワーの方がリツイートしていた記事を見て


「お、おう...。」


と思ったので僕の意見を書こうと思います。





「トレーナー」という日本での名称や定義があいまいだというのは前からの問題であり解決していません。




まずは上記の記事の批判をします。



....いえ、疑問を記します。笑







この記事を書いた方のプロフィール。

①取得資格は「柔道整復師
→でもパーソナルトレーナーと名乗っています。
→でもパーソナルトレーナー関連の資格は持っていないのかな?と。
②クライアントには「ダイエット」...?
→柔整だけど、ダイエット指導?
③スポーツクラブでイントラをしていた
→学生時代のアルバイト?正社員?なのか不明



タイトルと内容が曖昧な件
ジム=スポーツクラブ?フィットネスクラブ?パーソナルジム?ボディメイクジム?

どれでしょうか?


文章ではスポーツジムが多く出てきますが。



アメリカと日本の対比をした件

※NATA-ATCではなくBOC-ATCと表記すると聞いたことがありますが、確信はないのでどうかは知りません。


①アメリカのフィットネスジムではATCがいる
→NSCAやNASMの資格の方がパーソナルトレーナーをしていたり、フィットネスジムでは多いと聞きます。
ATCは整形外科、スポーツ現場、学校の部活などのイメージがあります。

②日本スポーツ協会のATの話
→なぜJATIやNSCA、健康運動指導士の話は割愛されているのか?


①と②からAT(ATC)がジムで指導する上で必要な資格という位置づけに見えるのは気のせいですかね。




無資格のトレーナー問題

無資格でもパーソナルトレーナーを名乗ることは可能です。
国家資格とは違い、業務独占資格名称独占資格ではありませんから。

ただ、「無資格」「経験不足」でレベルにピンキリが生まれるという点に関して。
どの職業でも、専門職でも有り得ることです。
逆もしかりで、無資格だけどレベルの高い方もいらっしゃるのも現実としてはある。
それが良いか悪いかは判断できません。

医療資格のカリキュラムにいわゆる「トレーニング」はないそうです。
ボディメイクやボディビルのトレーニング方法も知りません。
アスリートの為のトレーニング方法も知りません。

※最近そういった学部学科コースもできているみたいです。
 あくまで国家資格上でのカリキュラムには関係ないそうです。





医療資格の方がスポーツ現場で活躍している件

「駅伝チームのトレーナー」「ヨーロッパのチームのトレーナー」
として理学療法士鍼灸師、柔整の方が活躍している。

現実としては海外にも理学療法士(フィジオセラピスト)の資格はありますので、
海外で日本の国家資格保持者が重宝されるのもわかります。

スポーツ現場でも国家資格保持者が活躍はできると思います。


ただその活躍がこの文章では


「ATとしてなのか、ストレングスなのか、メディカルなのか」


がわからない。


ATと国家資格、トレーニング指導の資格と国家資格など両方持っている方も多いのも現状です。

なので、国家資格単独で活躍できるかは確定要素ではないかと。






テーマから結論と全体を通して



最初は「ジム」ということでしたが、スポーツ現場の話が出たり。

ATの話が出たり、医療資格が出たり、ボディメイク系トレーナーをディスったり...。


なぜ、医療資格保持の者がATの話をしているかはわかりません。



結局どの資格を取得している人に指導してもらうのが良いかがわからない文章だなという印象です。


まとめ

ジムで重要なのは「資格」ではない。

会員様の目的とトレーナーの資格が合致してなければ意味がない。

ATにダイエットのことを聞いても専門外です。

S&Cに怪我の治療を頼んでもできません。


鍼灸師にストレングスの指導を頼んでも原理原則にあったものを提供はできない。


そういうことです。



なので、スポーツジムでどの資格の人が働いていても、

会員様のジムに来る目的に合わせたものを提供できるかが大事。




もちろん、全く勉強もしていないようなトレーナーは論外です。

障害者に向き合うことから逃げた僕

僕の兄は自閉症です。


彼は世間一般に言う障害者だ。


誰かの力を借りないと生きていけない存在だ。


僕が彼を「ふつう」ではないと認識したのは4歳のとき。

4歳の幼稚園児が遊ぶ乗り用玩具を小学生の兄がそれで遊んでいたこと。


母に言っても何も言わずそのまま遊ばせているだけだった。


僕はそれを見て多分絶望したんだと思う。



ふつうの兄じゃないんだと...。



小学生になると、同じ小学校に通うようになる。

通っていた学校が支援級のある学校だったため、兄と同じような障害の人もいた。
ただ、彼らは落ち着きがなかったり、騒いだり、動いたり、不可解な行動をする。
だから目立つ。悪目立ちをする。


同級生にいじめられることはなかったが、全然知らない上級生下級生からいじめられることはよくあった。
暴力は振るわれるし、階段から突き落とされるし、持ち物も壊される取られるしと散々だった。
でも先生や親にそれをいうこともなく、ただ「へへへ」と苦笑いして状況を受け流していた。
兄が迷惑かけてる分、自分は誰も見ていないところで泣くしかなかったから。


僕が小さいころ嫌だったことは家族でお出かけをすることだった。
やはり兄は目立つ。
食事をしに行ってもうるさいし暴れるから周りから冷ややかな目で見られる。


僕はそれのせいもあって一時期まで外食のときだけごはんがのどを通らなかった。
それは気心知れた友達であっても。


その当時の僕は支援級の先生も親も兄には甘いとずっと思っていた。
やりたいほしいと言えばすぐ従う。

兄のほしいものはドンドン増えていく。

僕は服もおもちゃも全部お下がりだ。しかもいらないもの。

親が気を使って買うおもちゃも僕にとっては欲しくないものばかり。いらなかった。




兄があれだけふつうでもないし、わがままだから自分はそういうことをしてはいけないと思っていた。





一応、僕にも思春期はあったので中学生になると兄とは全くしゃべらなくなる。
それまではふつうに遊んだりもしていたけど。



むしろ兄もそういう時期だったので、感情の波が激しかった。
暴れたり騒いだりすることも多くなった。


中高の6年間は朝ごはんを食べるときに会うだけで会話もしなかった。


僕は関わりたくなかった。
僕の人生で兄は必要ではないとその当時思っていたから。


大学は県内だったが一人暮らしをした。
兄と関わる生活をしたくなくて。



それがあったからなのか、思春期を終えたからかわからないが

それからは普通に話すようにはなった。



母親の気持ちを知るために

障害のある子供のためのデイサービスでアルバイトをした。
いわゆる学童みたいなものだ。



その中で福祉系の学校に通っている人の話。
その子供たちの親御さんの話。
兄弟の話。
養護学校など福祉の現場で働く人の話。

色々な話を聞いて知らなかった現状が知れたし、母親の気持ちもよくわかった。

今まで兄のおかげで、ふつうの人よりも障害のある人と会う機会は相当多かったのも幸いして。


僕みたいに兄弟に障害者がいる人の多くは、進学先や就職先を福祉関係にする。




今までの経験を通してだが、彼らはすごいなと素直に思う。

僕は仕事で兄と同じ障害者と向き合うことはできない。


僕は生まれてから死ぬまで兄の障害と向き合って生きていかなければならないから。



親がいつまでも面倒みれるわけではない。


いくら福祉の制度や環境が整っても、障害者を嫌いな人間はいる。


他人に任せればいいと親はいうが、世間様は自分で見れるならなんで見ないだというでしょう。
家族なんだからそれが「ふつう」でしょと言わんばかりに。






僕は好き勝手生きてきた。
やりたいこともなんだかんだやれてる。



でも「ふつう」の兄が欲しいといくら願っても叶わない。
お金があっても地位があっても権力があっても何でも治せる天才であっても。





障害者を持つ家族の特殊能力で、


「障害者(自閉症)の行動や気持ちが読み取れる」

がある。



それのおかげで僕は苦しいのだ。



自分の中の正義感でそのような人がいたら助けたほうがいいかなといつも思ってしまう。










良くも悪くも、日本では24時間テレビや日本理化学工業イエローハットなどのおかげで

障害者への配慮や認知は広がっている。


彼らも働くことで必要とされている、褒められる、役に立つという幸せは感じる。
しゃべれない人も感情はあるし、
読み書きもできない知的発達にだいぶ遅れがあっても人間だという認識はある。




彼らを理解しようとする人の強さには本当に感銘を受ける。


ふつうのことがふつうにできない。


だから彼ら障害者には健常者が必要だ。


でも、健常者には必ずしも障害者は必要ではないのだ。



きれいごとを言ってもそれが現実だと思う。




今までの人生で僕は彼らと向き合うことをしなかった。




でも、もしかしたら神様は僕に

障害者の役に立つべきだと使命を与えたのかもしれない。




それは福祉の仕事ではない何かで。



僕には手もある足もある目も耳も言葉をしゃべられる考えられる感情表現もちゃんとできる。





それが特別なんだとわかるのも障害者の兄がいる僕の特権なのかもしれない。





だからこそ、障害者だけでなくその親や兄弟のサポートもより必要だと思う。

それを含めての障害者福祉だと。

何かを犠牲にしたり我慢したりしている兄弟はいる。

その彼らの役に立つことももしかしたら僕の使命なのかもしれない。

コンディショニングやケアでよく使うツール

AT畑から出てきたS&C兼パーソナルトレーナーがよく使うツール。




①フォームローラー

グリッド フォームローラー® | トリガーポイント™ 公式サイト


②コンプレフロス

www.sanct-japan.co.jp


③ドクターエア ストレッチロール

www.dr-air.com



④ストレッチポール

stretchpole.com




この4つは自分自身のセルフケアでも使いますし、選手にもオススメしたいツールです。



学生時代は

テニスボールやゴルフボールとかを使ってケアグッズを作ってましたね。笑





あとは、IASTM

coubic.com





手技もfasciaリリーステクニックや軟部組織リリース、関節モビライゼーションなども目的に応じて使います。


怪我を治すことはできませんが、予防をしたり怪我をした後の復帰の為にできることは多いに越したことはないかなと思っています。



服へのこだわりが無くなった瞬間

僕は大学生の時隠れおしゃれ番長を自称で名乗っていた。


隠れと言ってもそれを着て人前に出ることがなかったから...。笑




僕は大学時代そこそこ稼いでいたと思う。
月に20万以上稼ぐこともあった。


東京へは趣味の活動で毎週のように通っていた。
下北沢などおしゃれな街に出向き古着を漁り、有名ブランドの服も安く手に入れていた。
服を買いに行くためだけに東京に行ったこともある。


何なら、東京に服のための部屋を借りていた。


今考えれば相当バカだなと思う。
でも名古屋でそんな服を着れば浮くから嫌だった。
東京で着れば浮かない。普通だと思っていたから名古屋で着れない服は東京で保管していた。



名古屋ではある程度の服を着た。
むしろダサい感じや色の主張強めのも着ていたと思う。



しゃれおつ雑誌に載っているような服ばかり買う。
それが正義であり、それが最高だと思っていた。
ユ○クロやし○むらや無○は最悪、ダサいと。




普通の男子と比べて服の量は5~10倍はあったと思う。



そんな僕がなぜこだわりが無くなったか。





それは


「着たい服を着ても似合わなければダサい。似合う服を着こなしたほうがかっこいい」


と言われたからである。



僕は細見だ。
172cmのガリだ。
そしてメガネで真面目そうな顔面。
ただ髪の毛の色は...。笑




着たい服や雑誌に載ってる服、古着屋にある服を着て似合っていると言われたことはない。

多分にあってなかったのだろう。
自分の雰囲気や体型にあっていなかったから。






それから僕は東京の服を全部捨てた。
部屋も借りるのを辞めた。
名古屋にある服も社会人になってから捨て続けた。





ほとんど服が無くなった僕が買いに行った場所は「ユ○クロ」だ。




シンプルかつ合理性の高いあのユニ○ロだ。
自分がダサいと思っていた○ニクロだ。




そこから僕の家にある服はほぼ9割がユ○クロになった。


僕に一番似合うファッションは全部ユ○クロにあった。
他者が評価したらユ○クロのファッションの方が似合っている、高評価をいただく。





僕が服を買うときは欲しい服を買うのもそうだが、それ以上に似合うかどうかを気にするようにしている。
自分に似合う服やファッションを見極めるのもすごく大事。
それで印象は変わるから。



僕は変わりました。

名古屋っぽくないといわれる

広島生まれ名古屋育ち

 

 

初対面の人によく、

 

 

「名古屋っぽくないよね」

 

 

と言われる。

 

 

 

転勤族だったからというものあるのかなとそのときは流していた。

 

 

 

ちなみに僕は広島で生まれたが住んだことは一度もない。

祖母が住んでるのでよく会いに行く程度だ。

のう、じゃけぇ、けん...などなど聞き慣れた広島弁は割と好きだ。

僕は多い、たくさんの意味で「ようけ」は無意識に使う。

 

 

そんな僕の母親は生粋の広島生まれ広島育ちで家でも広島弁だ。

 

対して、父親は福岡生まれ福岡育ちの九州男児だ。でも家でも外でも福岡弁は全然出ない。標準語だ。

 

 

 

そんな家庭で育ったからなのか、関西の人と喋ると関西弁に引っ張られるし、名古屋の人と話すと名古屋弁に引っ張られ、母親と喋ると広島弁に引っ張られる。笑

 

 

 

でも、敬語で話すときは自分では標準語をしゃべってるつもりだった。

 

 

名古屋育ちのかなり歳上の先輩と話をしたときに、

 

先輩「名古屋弁出ないよね?」

 

と言われ

 

自分「あんまり出ないですね」

 

と答えたら、

 

先輩「生まれどこ?九州の方だよね?」

自分「広島生まれですけど、育ちは名古屋です。転勤族だったのでそれもあるかと」

 

といつもの対応をしたら、

先輩「親はどこの人?」

自分「母が広島で父が福岡です」

先輩「なるほどね。いや、名古屋弁出ないしどっちかというと九州寄りのイントネーションだったり雰囲気だったから。」

 

と言われた。

 

むしろここまで突っ込んで聞かれることもなかったから新鮮だった。

 

そこまで自分の言葉について意識はしていなかったが、やはり名古屋っぽくないんだなと。笑

 

 

 

うちの家庭では母が広島弁を話すので広島っぽいイントネーションになったのだろう。

もしくは父も母も転勤で九州に住んでいた時期も長かった(川口そのころ0〜2歳ぐらい)からその土地のものを授かったのかもしれない。

 

 

 

生粋の名古屋人ではないけど、九州にはあまり愛着はない。

むしろ中日よりカープが好きだし、グランパスよりサンフレッチェだ。

でも、名古屋の食べ物や土地柄は好きだし、住んだのが1番長い名古屋が1番愛着はある。

カープソースもいいが、つけてみそかけてみそもいい。もつ鍋もいいが手羽先もいい。

地方から帰ってきたときの名古屋の空気は不味いが、それでも名古屋は好きだ。

他県他市をパクリ我が物顔の名古屋も割と好きだ(赤福は名古屋ではなく三重です)

名古屋市長の名古屋弁は好かないが、名古屋の女の子が話す名古屋弁は好きだ。

 

 

名古屋っぽくない僕から見れば、

名古屋は「住まう」ことに関しては何不自由なく全てが揃うから日本一だと思う。